ハニャン(漢陽)都城は、1396年に都を守るため築かれた、全長18.6kmに及ぶ城壁である。単なる山を囲む石垣ではなく、自然地形の活用と工学的設計が融合した「生きた都市城郭」である。

ハニャン(漢陽)都城の核心は、「包谷式」による築城方式にある。
これは、山の稜線のみに沿って築城する「テメ式(山頂を囲む形式)」とは異なり、谷まで城内に取り込み包み込む形式である。
谷を城内に含めることで、都城内部に湧き出る水源を確保しやすくなり、民衆や兵士が滞在できる広い居住空間を確保することができた。
ハニャン(漢陽)都城は、自然地形を戦略的に活用することで、城外からの侵入を防ぎながら、城内の生活環境を豊かに保つという科学的均衡を実現していた。

城壁は時代ごとに積み方が異なり、自然石から加工石へと変化していった。
太祖の時代には自然石を粗く加工して積み上げ、世宗の時代には石を四角く整えて隙間なく積み上げた。
粛宗以降は、石をほぼ正方形に近い形に加工し、より堅固で滑らかな城壁へと発展した。
城壁を細かく観察すると、600年にわたり発展してきた朝鮮王朝の石築技術の変遷を一目で確認することができる。

都城は、四大門と四小門を通じて外部とつながっていた。
険しい山勢は天然の防御壁となり、低地の通路には堅固な城門を築くことで交通の要衝が形成された。
これは、地形に順応しながら都市機能を最大限に高めようとした、当時の都城建設における精巧な計画を示している。
ハニャン(漢陽)都城は、単なる遺跡ではない。
ペガクサン(白岳山)、ナクサン(駱山)、ナムサン(南山)、イヌァンサン(仁王山)の稜線に沿って続く城郭は、現在もソウルの都市構造と人々の日常を包み込んでいる。
この18.6kmの城壁は、先人たちが残した壮大な工学的記録であり、今なお私たちとともに息づく遺産である。