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スンニェムン(崇礼門)区間

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略図

지도
  • ペクポム(白凡)広場 ~ トニムン(敦義門)の跡地
  • 距離: 1.8km / あちらへ: 約1時間
  • 距離 ★

スンニェムン(崇礼門)区間

セクション : ペクポム(白凡)広場 ~ トニムン(敦義門)の跡地
距離 : 1.8km
あちらへ : ペクポム(白凡)広場 ~ トニムン(敦義門)の跡地

現代化と城壁の破壊:スンニェムン(崇礼門)コース スンニェムン(崇礼門)コースは、ペクポム(白凡)広場から始まり、スンニェムン(崇礼門)を経由してトニムン(敦義門)に至るコースです。スンニェムン(崇礼門)は都の玄関であり、南側の城壁として、ハンガン(漢江)に最も近い位置にあります。したがって、城内に入っていくほとんどの人や物がこの門を通じて出入りしていました。朝鮮時代末期、商業活動が盛んに行われていた時代に、城内の中では官憲倉庫の前で朝市が開かれ、城外ではチルペ(七牌)市場が開かれていました。七牌市場は、チョンノ(鍾路)やイヒョン(梨峴)と共に、都の最も大きな三大市場として最盛期を迎えました。当時の朝市は現在のナムデムン(南大門)市場へとその様相が受け継がれています。1876年、日本との通商条約が調印され、その後それに類似した通商条約が朝鮮と西洋列強との間に結ばれるようになり、ソウルは外部世界へ門戸を開放することとなりました。西洋諸国の公使館や外交官の屋敷は、西洋からの宣教師たちによって建てられた教会や学校と共にナムデムンから近いチョンドン(貞洞)地域に集中して建設されました。 最初の路面電車線路は1899年、ソウルに開通しました。この頃はすでにスンニェムン(崇礼門)の本来の機能は廃れ、スンニェムン(崇礼門)の両側の城壁も、交通上の目的で1907年に崩されました。その後も、新しい建物がスンニェムン(崇礼門)周辺に建てられることで、さらに多くの城壁が破壊され、城壁の痕跡を追うこともままならなくなりました。現在このコースは、2ヶ所の城壁のみ復元されています。本来の城壁跡の低い部分が、韓国産業通商資源部から「オリーブタワー」へつながる路地に沿って残っている他、チャンドク(昌徳)女子中学校に50mの古い城壁の跡が残っています。

•一口メモ: スンニェムン(崇礼門)コースは、ソウルハニャン(漢陽)都城の本来の城壁コースの追跡がしにくいという若干の事前情報が必要です。
交通案内
[チョンドンギル] ❷ シチョン駅10番出口→ 徒歩5分
[トッスグン(徳寿宮)] シチョン駅2番出口→ 徒歩1分
[スンニェムン] 京義空港 · ソウル駅 · 4番出口→ 徒歩5分
[ナムデムン(南大門)市場] ❹ フェヒョン駅5番出口→ 徒歩1分

主要部分

  • スンニェムン(崇礼門)

    スンニェムン(崇礼門)
    <国宝第1号. 1> ハニャン(漢陽)都城の南大門であり、正門である。1395年に建て始め、1398年に完成したが、 1448年と1479年に2回改築された。1907年、交通の妨げになるという理由により、左右の城壁が取り壊されてからは文化財として温存されてきた。ソウルで最も古い建物であったが、2008年2月の火災で木造2階の門楼が毀損され、2013年5月に修復された。
    • 開放時間 : スンニェムン観覧時間 - 年中常設(月曜日休み)時間 :09:00~18:00
       夏季 : 09:00~18:30(6月∼8月) / 冬季 : 09:00~17:30(11月∼2月)
  • ナムデムン(南大門)市場とチルぺ(七牌)市場

    ナムデムン(南大門)市場とチルぺ(七牌)市場
    ナムデムン市場は1897年1月にオープンした韓国初の都市常設市場である。 朝鮮時代初め、ここには常平倉があったが、17世紀に大同法の施行により宣恵庁の倉庫に変わった。1894年租税納貨の措置に従い、 現物を保管する必要がなくなったため、商人たちが市場として使えるようにした。ナムデムンの外にはチルぺ市場があるが、チョンヌ (鐘楼、鍾路十字路)、イヒョン(梨峴、フンインジムン(興仁之門) 内) と朝鮮後期の3大市場の一つとして言われる。チルペという名称はここが御営庁第7牌の巡邏ギルであったことから名付けられた。
  • ソイムン(昭義門)の跡地

    ソイムン(昭義門)の跡地
    四小門の一つで都城の西南門である。 1396年都城と一緒に築造されたが、最初の名称はソドンムン (昭徳門)であった。ヨンジョ(英祖)20年(1744)に門楼を改築した際にソイムンに改称された。クァンヒムン(光熙門)と同様、城の外に遺体を運ぶ門として使われていた。1914年、日本帝国の市区改修事業の際に取り壊され、現在はソイムンの跡地であることを示す標石が残っているだけである。
  • 旧ロシア公使館

    旧ロシア公使館
    <史跡第253号> コジョン(高宗)27年(1890)に完成したルネサンス様式の建物で、丘の上に佇むチョンドンの象徴的な建築物であった。乙未事変以後、身辺に危険を察したコジョンが1896年2月に同建物に避難して1年間を過ごした(俄館播遷)。韓国戦争中、建物のほとんどが破損され上部だけが残っていたが1973年に現在の姿に整備され、その後も2007年と2010年の二度にわたり補修工事が行われた。旧ロシア公使館の跡地は現在チョンドン(貞洞)公園に造成されている。
  • チョンドン(貞洞)教会

    チョンドン(貞洞)教会
    <史跡第256号> アメリカ人宣教師アッペンツェラーが設立した韓国初のメソジスト派教会である。ゴシック風の赤レンガの建物で、1895年に着工、1897年に完成した。近くのペジェ(培材)学堂・イファ(梨花)学堂と共に開花期にアメリカの文物を取り入れた通路として役割を果たした教会である。
  • イファ(梨花)女子高等学校・シンプソン記念館

    イファ(梨花)女子高等学校・シンプソン記念館
    <登録文化財第3号> 1915年に竣工した旧イファ学堂の校舍で、現在イファ博物館として使われている。イファ学堂は1886年、アメリカメソジスト派女宣教師であるメアリー・F・スクラントンが創設した韓国初の女性教育機関で、イファ学堂という名前は1887年にミョンソン(明成)皇后により命名された。学校の敷地内にはユ・グァンスン(柳寛順)烈士が洗濯の際に使っていた井戸や、「韓国女性の新教育発祥の地」記念碑、ユ・グァンスンの銅像、ソンタク(孫沢)ホテル跡地を示す標石などがある。
  • トニムン(敦義門)の跡地

    トニムン(敦義門)の跡地
    都城の西大門であるトニムンがあっ た場所である。トニムンはテジョ(太祖)の時代に初めて建てられた が、テジョン(太宗)13年(1413)に建てられたソジョンムン(西箭門) が西大門の機能を果たしていた。しかし、その場所がどこだったか は定かではない。セジョン(世宗)4年(1422)に都城を大々的に修築 した祭にソジョンムンを閉め現在のトニムンの跡地に新しいトニム ンを建てた。それ以後、トニムンはセムンまたはシンムン(新門)も 呼ばれ、現在のシンムンロという地名はこれに由来する。日本帝国 は1915年に西大門を通る電車を開通したが、その際にトニムンを 解体し建材として売却した。現在トニムンの跡地には公共 美術品「見えない門」が設置されている
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