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フンインジムン(興仁之門)区間
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城郭散策のご案内
フンインジムン(興仁之門)区間
- 区間 : フンインジムン(興仁之門) ~ チャンチュン(奨忠)体育館
- 距離: 1.8km / あちらへ: 約1時間
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困難
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フンインジムン(興仁之門)区間
セクション : 区間 : フンインジムン(興仁之門) ~ チャンチュン(奨忠)体育館
距離 : 1.8km
あちらへ : 約1時間
ソウルハニャン(漢陽)都城の痕跡を追う:フンインジムン(興仁之門)コース
城壁探訪は、このフンインジムンコースから始まり、クァンヒムン(光熙門)を経由してチャンチュン(奨忠)体育館までのコースとなります。フンインジムン一帯は、都城の中で最も低地にあり、城内の水がここに流れ込むようになっていました。このため、オガンスムン(五間水門)とイガンスムン(二間水門)の水門(水門がそれぞれ五つのアーチと二つのアーチで構成)は、ソウルハニャン(漢陽)都城の中から城壁の外へ水が流れるように造られています。
また、ハドガム(下都監:訓練都監傘下の施設)、ヨムチョチョン(焰硝庁:火薬管理部署)、フルリョヌォン(訓練院)など、多くの軍事関連施設もこの周辺にあったとされています。大韓帝国時代にはこの場所に路面電車の線路が敷かれ、日本の植民統治時代には新しい道路とキョンソン(京城)スタジアムが建設されました。解放後には、この通りは拡大され、周辺に新しい建築物が建てられるようになりました。これらの開発事業により、以前の城壁の大半が破壊されてしまいましたが、現在はイガンスムンが元の場所に復元されている他、下都監と推定される遺構が「トンデムン(東大門)歴史文化公園」の中に一般展示されています。ソウルハニャン(漢陽)都城のこのコースを訪問する際は、トンデムンデザインプラザやトンデムン市場の近くにあるピョンファ(平和)市場やパンサン(放散)市場に寄ってみることもできます。
• 注意事項 : Tクァンヒムン(光熙門)からチャンチュン体育館方面への道は民家地域に当たり、民家の迷惑にならないようにすること。
交通案内
[フンインジムン] ❶❹ トンデムン駅6・7番出口 → 徒歩1分
[トンデムン(東大門)歴史文化公園]
❶❹ トンデムン駅7番出口 → 徒歩10分 / ❷❹❺ トンデムン・ヨッサムンファゴンウォン駅2番出口 → 徒歩2分
[チャンチュン(奨忠)体育館] ❸ トンデイック駅5番出口 → 徒歩2分
主要部分
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フンインジムン(興仁之門)
<宝物第1号> ハニャン(漢陽)都城の東大門である。現在のフンインジムンはコジョン(高宗)6年(1869)に再建されたもので、朝鮮後期の建築様式がよく表れており、宝物第1号に指定されている。ソウルは西高東低の地勢であるため、軍事的にはトンデムン(東大門)が最も不利だった。トンデムンの外側に瓮城をもう一つ築いたのもそのためである。1907年、左右の城壁が取り壊され、現在の姿になった。
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トンデムン(東大門)市場
1905年に韓国初の民営都市常設市場として開場したクァンジャン(広蔵)市場が嚆矢である。韓国戦争以降、 トンデムン一帯の商圏はクァンジャン市場を起点に東へ広がり、 現在ではチョンゲチョン(清渓川)沿いにクァンジャン市場・パンサン(芳山)市場・トンデムン総合市場・ピョンファ(平和)市場などが立ち並ぶ。この巨大な市場一帯は世界的な衣類、ファッション産業の中心地である。近くの国立医療センターの敷地は元々朝鮮時代の訓練センターがあった場所である。市場の向かい側にはキリル文字の看板が並ぶ中央アジアタウンが形成されている。ロシア・ウズベキスタン・モンゴル・カザフスタンなどから来た人々がこの一帯に住み着いて造成された通りである。
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オガンスムン(五間水門)の跡地とイガンスムン(二間水門)
<史跡第461号(オガンスムンの跡地)> フンインジムンとクァンヒムンの間にはかつてオガンスムンとイガンスムンがあった。この付近はソウルで最も地形が低いため、内四山から流れ落ちる水はすべてここを通って都城の外へ流れていった。城壁とチョンゲチョンが交差する場所には水門が続いていた。トンデムン運動場の観客席の下に埋れていたイガンスムンは円形に近い姿が残っているが、オガンスムンは跡形もなくなっており、かつてオガンスムンがあった場所が史跡に指定されているだけである。
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トンデムン歴史文化公園(旧トンデムン運動場の跡地)
昔のトンデムン運動場の跡地に造成された公園で、朝鮮後期には訓練都監の別営である下都監と火薬製造官署である焰硝庁があった場所である。1925年、日本はここにキョンソン(京城)運動場を建設したが、 城壁を利用して観客席を作った。解放後、キョンソン運動場はソウル運動場に改称され、その後の「88オリンピック(第24回ソウルオリンピック)」以後、トンデムン運動場に改名された。2007年、 近現代の韓国スポーツの中心地であった同運動場が取り壊されたが、 当時の解体作業の過程で、地下に埋もれていた城壁の一部とイガンスムン(二間水門、ナムサン(南山)から流れる水が都城の外に抜けられるように作った二間の水門)、雉城( 城壁の一部を突出させて、 敵から守るための施設)、下都監と推定される建物の遺構などが大量に出土した。現在のイガンスムンは元の場所にあるが、トンデムンデザインプラザ(DDP)の場所にあった建物の遺構は公園の中に移された。その場所で出土した遺物はトンデムン歴史文化公園内のトンデムン歴史館1398で見ることができる。
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クァンヒムン(光熙門)
ハニャン都城の東南門で、シグムン(屍口門)またはスグムン(水口門)と呼ばれていた。日本統治時代に一部が崩れ、1960年代のトェゲロ工事の際に半分ほど取り壊されたが、1975年に元の位置から南に15m離れた現位置に再建された。
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チャンチュンドン(奨忠洞)住宅地域
クァンヒムン城壁に沿ってチャンチュンドン住宅街に入ると、ハニャン都城は再び姿を消す。1930年代に東洋拓殖株式会社がこの一帯に文化住宅団地を造成した際に、ハニャン都城のかなりの部分を取り壊した上、 解放後、1960~70年代も新築が建てられる際に城壁が破壊されたためである。 現在、この当たりの城石は住宅の塀や土台として使われている