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イヌァンサン(仁王山)区間
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城郭散策のご案内
イヌァンサン(仁王山)区間
- トニムン(敦義門)の跡地 ~ チャンイムン(彰義門)
- 距離: 4.0km / あちらへ: 約2時間30分
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困難
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イヌァンサン(仁王山)区間
セクション : トニムン(敦義門)の跡地 ~ チャンイムン(彰義門)
距離 : 4.0km
あちらへ : 約2時間30分
トニムンの跡地から始まりイヌァンサンを越えてユン・ドンジュ(尹東柱)詩人の丘まで続く区間である。 海抜339mのイヌァンサンは風水上右白虎に当たる。巨大な岩が露出している岩山で、チマバウィ(岩)、ソンバウィ (禪岩)、キチャバウィ(汽車岩)など奇岩怪石が多い。仁王という名は仏教式名称で、ムハク(無学)大師がこの山を主 山に祀ると仏教が隆盛すると言い残したことから名付けられた。1968年、1・21事件以後民間人の出入が統制され ていたが1993年から民間人に開放された。
• 開放時間 : 24時間
• ユン・ドンジュ(尹東柱)文学館 - 10:00~18:00
(毎週月曜日、秋夕・旧正月連休休み)
• 注意事項 : イヌァンサンは岩石が多いため、冬季の登山時は注意しなければならない。
• 区間情報 : サジクダン(社稷壇)では毎年9月中にチョンジュ(全州)イ(李)氏テドンジョンヤグォン(大同宗約院)の主管で社稷大祭(重要無形文化財第111号) が開かれる。
交通案内
[トニムンの跡地]
❺ ソデムン駅4番出口 →徒歩2分 foot / マウルバス鍾路05番 → 「カンブク(江北)サムスン病院」下車 → 徒歩1分
[キョンヒグン(慶熙宮)] ❺ クァンファムン駅1番出口 → 徒歩5分
[サジクダン(社稷壇)] ❸ キョンボックン駅1番出口 → 徒歩5分
[イヌァンサン国師堂] ❸ トンニンムン駅2番出口 → 徒歩20分
[イ ヌァンサン(頂上方面)] ❸ ムアクジェ駅2番出口 → 徒歩30分
[ イ ヌァンサン(頂上方面)] ❸ キョンボッグン駅3番出口 → マウルバス鍾路09番 → オギンアパート」下車 → 徒歩30分
[ イ ヌァンサン(キチャバウィ(汽車岩)方面)] ❸ホンジェ駅2番出口 → マウルバス鍾路07番 → 「ケミマウル(蟻村)」下車 → 徒歩15分
[ ユ ン・ドンジュ詩人の丘] ❸ キョンボッグン駅3番出口 → 支線バス7212、1020、7022番 → 「 チ ャ ハムンゴゲ(紫霞門峠)」下車 → 徒歩2分
主要部分
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キョンギョジャン(京橋荘)
<史跡第465号> 1945年の大韓民国 臨時政府の還国から1946年まで事実上の臨時政府庁舎として使われ た建物で、国務委員会の開催及び信託統治反対運動の主な舞台とな った。また、主席キム・グ(金九)が約4年間(1945~1949)過ごし逝 去した歴史の現場である。逝去後、60年中国大使館、ベトナム大使 館、病院施設などに使われてきたが、2013年3月、キム・グ先生が 居住した当時の臨時政府活動地として復元され市民に開放された。
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ソウル漢陽都城の跡
最近ウォラム(月岩)近隣公園に沿って新たに城壁が築かれた。公園造成の途中、ソウル市福祉財団(旧気象庁) 建物の垣根土台の下に埋もれていた城壁の一部が見つかった。ホンパドンホン・ナンパ家屋の周辺にある集合住宅の駐車場裏にも 城壁の跡が残っている。
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ホンパドン(紅把洞)ホン・ナンパ(洪蘭坡)家屋
<登録文化財第90号> 「鳳仙花」、「故郷の春」などで有名な作曲家、ナンパ・ホ ン・ヨンフ(蘭坡洪永厚、1898~1941)が住んでいた家。彼の代表 曲のほとんどはこの家で創られた。 1930年代の洋風住宅の様式が 綺麗に保存されている。
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Dilkusha(テイラー家屋)
Dilkushaはアメリカ人の金鉱技術 者であり、UPIソウル特派員を務めながら3・1運動を世界に知らせ たアルバート·テイラーが建てて 1923年から1942年まで過ごした 洋風建築物である。Dilkushaとはヒンディー語で「希望の宮殿」と いう意味で、長い間ベールに包まれていた建物の由来は、2006年 にアルバートの息子であるブルース・テイラーの訪韓によって世に 知られた。Dilkushaのすぐ隣には樹齢450年以上のイチョウの木が あるが、ヘンジュ(幸州)大捷を率いたクォン・ユル(権慄)将軍の家 にあった木だと伝わっており、ヘンチョンドン(杏村洞)という地名 はこの木に由来する。
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イヌァンサン国師堂とソンバウィ(禪岩)
<重要民俗文化財28号> 朝鮮テジョの時代にナムサン(南山)に建てた国の神堂である。日本帝 国がナムサン中腹に朝鮮神宮を建てた際に国師堂が取り壊されたた め、ここで祭礼を行っていた巫師らがイヌァンサン西裾に国師堂を移 し、私設巫俗神堂に建て替えた。国師堂上部にあるソンバウィ(禪岩) は僧帽を被って袈裟をまとった僧侶が座禅する形をした岩である。仏 教を排斥していたチョン・ドジョン(鄭道伝)がハニャン(漢陽)都城の 境界を定める際に、ソンバウィ(禪岩)をわざと外したと伝えられる。
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キョンボックン(景福宮)西側の韓屋村(上村、ウデ)
イヌァ ンサンとキョンボックンの間にある韓屋村には日帝時代に建てられた 都市型韓屋が多数残されている。朝鮮後期には、サンチョン(上村)、 ウデとも呼ばれた。秀麗な山勢や綺麗な水に恵まれていたため、この 一帯には王族、高官顕職の家や別荘はもちろん、末端管理人である 京衙前の家も多数あった。「上村」という言葉は京衙前の同義語であ った。朝鮮末期には中人階級の人や知識人の詩会の場所としてよく利 用され、閭巷(村里)文学の中心地となっていた。近代以降は、詩人の イ・サン(李箱)、ユン・ドンジュ(尹東柱)、画家のノ・チョンミョン(盧 天命)、イ・ジュンソプ(李仲燮)、チョン・ギョンジャ(千鏡子)、イ・ サンボム(李象範)などがこの一帯に居住しながら創作活動を行った。
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築造時期別の築城方法の違いが確認できるスポット
イヌァンサン区間でも時期別の築城方法の違い が確認できる場所がある。頂上からチマバウィを通り過ぎるとタンチュンデソンで分かれ道が現れる。 ここからは城内外に道が整備されているが、城外の道を歩きながら城石の形に注目してみよう。 テジョ(太祖)・セジョン(世宗)・スクチョン・スンジョ(純祖)の時代やその後の時代まで築かれた城石が混 在し、その区間もかなり長く続く。
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ユン・ドンジュ(尹東柱)詩人の丘とユン・ドンジュ文学館
ユン・ドンジュ詩人の文学精神を称えるために造成した公園で、 イヌァンサン麓の西の端、チャンイムン付近にある。ユン・ドン ジュはヨンヒ(延禧)専門学校の在学中、チョンノグ・ヌサンドン (樓上洞)で下宿をしていたが、彼が散策しながら詩想を練ったと思わ れ、この一帯にユン・ドンジュ詩人の丘が造成されるようになった。 丘の上には彼の代表作である「序詩」が刻まれた大きな詩碑があり、 近くにはユン・ドンジュ文学館もある。
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チャンイムン(彰義門)
チャンイムンはイヌァンサン(仁王山) とペガク(白岳)の交差地点にある門で、四小門の中では唯一、 朝鮮時代の門楼がそのまま保持されている。この門楼は壬辰倭乱 (文禄の役)の時に焼失されたがヨンジョ(英祖)17年(1741)に再建さ れた。ヨンジョの時に門楼を新たに建てた際、インジョ(仁祖)反正 時に反正の群れがこの門から都城に入ったことを記念するために、 功臣らの名前を刻んだ扁額が掛けられたが、現在も当時のまま残さ れている。現在はチャハムン(紫霞門)として呼ばれることが多く、 同門付近の景色がケギョン(開京)の景勝地であった チャハドン (紫霞洞)と類似していることから名づけられた。