漢陽の首都城郭(Capital Fortifications of Hanyang)は、朝鮮王朝の首都・漢陽を防御するために築造された大規模な城郭群であり、都城であるハニャン(漢陽)都城、入堡城であるプッカンサンソン(北漢山城)、連結城郭であるタンチュンデソン(蕩春台城)で構成されている。この城郭群は、単なる首都防衛施設を超え、都市と周辺環境が一体となった歴史的景観を形成しており、朝鮮半島における城郭築造伝統の発展過程を示す重要な城郭遺産である。3つの城郭は機能的に連結された構造を成しており、総延長は約42.75kmに及ぶ大規模な首都城郭である。
都城であるハニャン(漢陽)都城は、14世紀末に朝鮮王朝が建国されて以降、首都・漢陽を防御するために築造された都市城郭であり、漢江北側の盆地を囲むペガクサン(白岳山)、ナクサン(駱山)、モンミョクサン(木覓山)、イヌァンサン(仁王山)の稜線に沿って築かれた。この城郭は自然地形を積極的に活用して築造されており、その総延長は約18.6kmに達する。山地、丘陵地、平地に沿って連なる巨大な城郭として、朝鮮王朝の首都の境界と権威を象徴する役割を果たした。

漢陽の首都城郭は、16~17世紀に発生した大規模な国際戦争を契機として、新たな形態へと発展した。文禄・慶長の役や丙子の乱などの大規模戦争を経験する中で、既存の都城防衛体系は火器の発達に対応する上で限界を露呈した。これを受け、朝鮮王朝は首都防衛を強化するため、18世紀に都城北側の山岳地帯へプッカンサンソン(北漢山城)を築造した。プッカンサンソン(北漢山城)は、都城背後の山岳地帯に位置する入堡城として、有事の際には国王と都城の住民がともに避難し、長期戦に備えられるよう計画された城郭であった。プッカンサンソン(北漢山城)は、険しい山岳稜線に沿って約11.6kmにわたり築かれた首都最後の防衛拠点であり、大規模な人員を収容できる入堡城として機能した。

都城とプッカンサンソン(北漢山城)を連結するために築造されたタンチュンデソン(蕩春台城)は、漢陽の首都防衛体系において重要な役割を果たしている。タンチュンデソン(蕩春台城)は、都城と入堡城の間の稜線に沿って築かれた連結城郭であり、戦時には都城の住民がプッカンサンソン(北漢山城)へ安全に移動できるよう、避難経路を防衛する役割を担っていた。また、城郭内部には戦時に備えた軍需物資や食糧を保管する倉庫が設けられ、長期戦に備えられるよう整備されていた。このように、都城・入堡城・連結城郭が有機的に結び付いた構造は、首都防衛と住民避難戦略を同時に実現した独創的な防衛体系として評価されている。
漢陽の首都城郭は、朝鮮半島で発展した代表的な築城方式である「包谷式城郭」の特徴を最もよく示している。包谷式城郭とは、山岳地形の稜線に沿って城壁を築き、谷や自然地形を内部空間として取り込むことで、閉曲線状の城郭を形成する築城方式である。この方式は、自然地形を防衛線として活用できるため、比較的少ない人員でも効率的な防御が可能であり、広い空間を確保できることから、城郭内部に軍事施設、倉庫、居住空間などを配置できる利点を持つ。漢陽の首都城郭は、この包谷式城郭の伝統を継承しながら、異なる機能を持つ3つの城郭を結合することで首都防衛体系を拡張した事例であり、朝鮮半島における城郭発展の到達点を示す遺産である。
また、漢陽の首都城郭は、朝鮮半島における首都城郭の歴史的発展過程を示している。朝鮮半島の首都城郭は、高句麗の山岳都市を起源とし、その後、平時の居住空間としての平地城と有事の避難用山城を組み合わせた形態へと発展した。さらにその後、盆地地形を活用した平山城形式が登場した。ハニャン(漢陽)都城は、こうした伝統を継承し、自然地形を活用した都城として築造された。しかし18世紀以降、プッカンサンソン(北漢山城)とタンチュンデソン(蕩春台城)が追加で築造されたことで、より体系的かつ独創的な首都防衛体系が構築された。これは、変化する国際秩序と軍事環境に対応しながら、首都防衛戦略が発展していったことを示している。

今日、漢陽の首都城郭群は、ソウルと京畿地域を結ぶ歴史的景観を形成しており、大韓民国を代表する重要な遺産として保存されている。20世紀以降、都市化や戦争などにより一部区間が損傷したが、1970年代以降、補修と復元が継続的に行われ、城郭の歴史的価値は徐々に回復されてきた。現在では大部分の城郭が良好な状態で残されており、城壁や城郭施設、城内施設など多様な遺構を通じて、朝鮮時代の築城技術と管理体系を確認することができる。また、厳格な法的保護のもとで体系的な管理と研究が進められており、大韓民国を代表する歴史文化遺産として、その価値が受け継がれている。